コラム アーカイブを知り未来を読む 2025.01.23 1970年代後半からのクロマトグラフィーの進歩には目を見張るものがあった。蛋白質研究領域では、目的蛋白質を単離する技術がセファデックス担体を軸として進み、HPLCの導入がアミノ酸配列分析でこれを加速した。1980年代に突入すると 黒澤伸行
コラム 古き良きアメリカ ( 6 ) 2024.07.29 1960年代、表参道から青山にかけて米軍払い下げのGパンや衣類を売る中古衣類店が数件あり、小学生の頃から母親が安く仕入れてきたリーバイスやLEEのジーンズを履いていた。中学生になった14歳くらいの頃、銀座みゆき通りに行き交う若者が独特のファッションを着こなし、「みゆき族」と呼ばれていた。 黒澤伸行
コラム 古き良きアメリカ ( 5 ) 2024.07.22 1960年代、表参道から青山にかけて米軍払い下げのGパンや衣類を売る中古衣類店が数件あり、小学生の頃から母親が安く仕入れてきたリーバイスやLEEのジーンズを履いていた。中学生になった14歳くらいの頃、銀座みゆき通りに行き交う若者が独特のファッションを着こなし、「みゆき族」と呼ばれていた。 黒澤伸行
コラム 古き良きアメリカ ( 4 ) 2024.07.15 ボストン発国内便でナッシュビル空港(テネシー州)に到着した機内、シートベルト解除が機内放送されると、一斉に乗客は席を立った。時差は1時間、米国中部時間に 黒澤伸行
コラム 古き良きアメリカ ( 3 ) 2024.07.08 1960年代、表参道から青山にかけて米軍払い下げのGパンや衣類を売る中古衣類店が数件あり、小学生の頃から母親が安く仕入れてきたリーバイスやLEEのジーンズを履いていた。中学生になった14歳くらいの頃、銀座みゆき通りに行き交う若者が独特のファッションを着こなし、「みゆき族」と呼ばれていた。 黒澤伸行
コラム 古き良きアメリカ ( 2 ) 2024.07.01 2回目の米国出張は出足のフライトから最悪だった。ロスで3時間到着が遅れ、連鎖的に乗り継ぎが間に合わず、結局アトランタ・ミネアポリス・ボストンと深夜の夜行便を使われて、結局22時間かけて夜明けにボストンのローガン空港に到着。空港から1時間ほどでレキシントンのホテルに到着した時は夜がすっかり開けていた。 黒澤伸行
コラム 古き良きアメリカ ( 1 ) 2024.07.01 私が初めて仕事で渡米したのは1984年くらいのPITTCONだった。HPLCのフォトダイオード アレイ検出器が発売される直前だったかと思う。アトランティックシティーはボードウォークとカジノの街。朝食がとにかく美味しいと感じていた。オレンジジュースが特に新鮮で、ミルクもバターの Low Fatという表示はどこにも無かった。 黒澤伸行
コラム HPLC誕生秘話(ジェームス・L・ウォーターズ博士は何故HPLCを創ったのか) 2024.07.01 1970年後半から1980年代のHPLC市場は、低分子分離計測として多くの化学産業分野で拡散されたが,その中でも市場成長を促進させたのは医薬開発分野で、 黒澤伸行
コラム HPLCカラムのネーミング 2024.07.01 1970年代に逆相分配用硬質ゲルが登場して以来、極性溶液中の化合物分析性能を飛躍的に向上させた事から、特に医薬品開発を中心としてHPLCの需要は大きく進歩した歴史がある。 黒澤伸行
コラム 『プロザニア』の提案/coffeebreake 01 2024.07.01 人間は多くの環境に支配されて生命を維持している動物だ。細胞もシングルセルは周囲の細胞とのアライアンスという環境の中で機能を発揮しているらしい。遺伝子だってそんな細胞の役割の設計図だから多様性を持たざるを得ないし、細胞表面上でのシグナル伝達はもっと複雑なのかもしれない。昔のヒトはよく云ったものだ、「三つ子の魂百まで」と。 admin