【対談】デジタルヘルスケアの未来に向けたデータサイエンスを探る

Interviewer: 神沼 二眞 氏 (クリックするとプロフィールに飛びます)
Interviewee: 岩瀬 壽 氏 (クリックするとプロフィールに飛びます)

はじめに

最近、とくにこの数年、ICT技術が急激に進歩し、社会構造全体に大きな変化をもたらしているように感じられます。その変化が、健康や医療のサービスにも及んでいることを、多くの人達が実感しはじめているのではないかと推測します。AIという言葉が巷に溢れ、なんでもかんでもAIという言葉を使い始めています。しかしながら真のAIを理解し、応用と計画を正確に設計しているものは現実にはまだ少ないと思います。また日本と海外の差異も大きいように感じられます。医療は医師が病気と判断した後に存在するエリアで、投薬も医療行為の一部であるとすれば、“薬”という概念が最近の科学の進歩によって大きく変化してしまう可能性が出てきました。また、再生医療や細胞治療のどこまでが医薬の範囲にあるのか、定義が難しい新しい世界が始まったようにも思われます。その新しい世界では、コンピュータサイエンスという、データで科学する新しい世界で活躍する人材の育成が重要かと考えます。日本において、このようなデータサイエンティストをどのように育成し、彼らが社会変革や様々なビジネスに関わり、世界に羽ばたくような環境をどう整備したらよいか、今回は長年にわたり計算科学、あるいは情報学の視点から、医療、生命科学、創薬、環境化学物質の世界に関わられてこられた神沼先生にお話しを伺いました。

人工知能、パターン認識の黎明期

岩瀬 氏
神沼先生は長年に渡り情報学あるいは計算機応用の立場で国内外を観察されてこられたと思います。日本が高度成長時代からバブル期、そしてバブル崩壊から新世紀に突入してきた期間の中で貴重な体験をされ、そうした情報学の創生期を経て生物医学や薬づくりへの計算機の幅広い応用体験から、今の日本をどう捉えていますか。
神沼 氏

私はちょうど前回の東京オリンピックの年(1964年)に大学を卒業し、その夏に米国の大学院に入り、1971年夏に帰国して日本企業の研究所に入りました。米国では、理論物理学から、パターン認識に転じられたハワイ大学の渡辺慧(さとし)教授の下で、その手伝をして給与をもらっていました1)。理論物理学の計算で学位をとりましたが、それよりパターン認識の仕事が多かったです。この時期、1960年代の後半の同じ研究室の仲間だったのがクリコフスキー(C. A. Kulikowski)です。彼は甲状腺疾患へのパターン認識の応用で学位をとって、ラトガース大学の人工知能の研究科に行きました。私は、機械学習の技法と応用研究や、レーザー光を用いた画像変換装置の開発など、いろいろやっていました。

日本に帰国した1971年夏から、設立されたばかりの日立の情報システム系の研究所に入りました。そこでたまたま心臓病の(精密な)鑑別診断を計算機にやらせようという、専門医(町井潔医師、当時三井記念病院、後に東邦医大教授)とその研究所の若手研究者との共同研究を応援することになりました。そこで医師という人間の専門家の経験的な知識を計算機に移行して、診断をより精密にする過程を自動化する、今日でいうエキスパート・システムの開発をしました。これは1970年代の前半のことです。また、虎ノ門病院で蓄積されていた痛風患者の診療データを使って、薬の投与を最適にするためにベルマン(R. Bellman)の動的計画法を使うやり方も考えました。ちなみに「エキスパート・システム」という言葉は、クリコフスキーの造語です。彼は、ラトガース大学に移ってから緑内障の診断のために専門医の経験知識を計算機の判断に使うシステムを開発しています。それは後に日本のいわゆる第五世代コンピュータの宣伝にも使われています。

私はその後、1976年から、当時創設された東京都臨床医学総合研究所に移りました。そこで初めて「医学において遭遇するあらゆるデータを計算機で扱えるようにする」ことをめざして文書、数値、波形、画像、3D画像、地図などのデータを扱える、今日で言えばプラットフォーム的な環境をつくろうとしました2)。ここで1970年の後半には、統計パケージづくりを基礎にした医療情報学Medical Informaticsのグループをつくりましたが、臨床診断の研究は、やっていません。ただクリコフスキーやスタンフォードで抗生物質の使い方を支援する対話型システムであるマイシンMYCINを開発したショートリフ(E. H. Shortliffe)や、MITの人工知能研究所で臨床応用研究をしていたソロビッツ(P. Szolovits)など、当時30そこそこの若い研究者たちと知り合いになり、彼らを主役とする講演会を開催したり、MYCINの本を訳したりしました3)。彼らは米国で医学人工知能のグループを立ち上げていました。これは今日のAMIAにつながる動きです4)。その動きに敏感に反応されたのが当時東大病院の情報処理部におられた開原成允先生(当時助教授?)です。開原先生が主導し、私も多少の応援をした米国の医学人工知能の若手たちによる講演会の開催を機として、日本医療情報学会が設立されました(正式には1983年)。ただ、私たちの研究グループは、その後、臨床診断研究にはあまり関わっておりません。

勢いがあり夢が語られた80年代の日本

岩瀬 氏
神沼先生はたしかCBI学会を1980年代に創設されたかと思うのですが、その時代に多くの変革における新しい仕組みが多く考案されたような気がします。1980年代における状況や現在を予測する何かキーワードはあったのでしょうか?
神沼 氏

私は1980年代には、生命情報工学(Bioinformatics)の研究室を主宰しながら、臨床疫学(Clinical Epidemiology)のグループ設立に協力していました。1981年には、NIHとEPAのChemical Information Systemの中核部分を我々のところに移植する仕事をベースとして、現在のCBI(Chem-Bio Informatics)学会の前身にあたる研究会を立ち上げました。また、1983年からは計算機室の中にクリーンベンチや光学顕微鏡などの実験機器を持ち込んで、線虫(C.elegans)を用いた胚発生の観察や化合物スクリーニングの実験を始めました。その縁で、80年代の通産省(現、経産省)の第五世代コンピュータ計画、分子・バイオ素子(さらにバイオコンピュータ)、ニューラル(ニューロ)ネットなどのプロジェクトやブームに立ち会い、その一部の応援もしました。第五世代コンピュータがエキスパート・システムの実装環境づくりをめざしたことは、よく知られています。ただ、私は「専門医の知識をそのまま計算機に入れても信頼のおける結果を出せない。そうした知識システムは現場において、実データで学習しながら改良するスタートにすべきだ」、という「半経験的方法論」を提唱していました。

現在のCBI学会は、薬づくりへの関心が高いのですが、最初は化合物のデータベースや計算化学の統合的なシステム構築をめざしていました。1980年代末、現在の国立医薬品食品衛生研究所に移りましたが、ここではちょうど開放されたインターネットの環境づくりと、WHO, UNEPなど国連の機関が連携した「化学物質の安全な管理のための地球規模ネットワーク(Global Information Network on Chemicals, GINC )」プロジェクトや、現在関心が高まっている海を漂う微細プラスチックゴミの対策研究の立ち上げなどに関わっていました。 定年になった2001年からは、研究活動から離れておりますが、今振り返ってみると、私が研究的な活動をしていた時代は、日本が科学技術も企業の活動(経済)も、まさに陽が昇っているような時代で、研究所の会合でも「アメリカに学ぶものはない」などと言っていた研究者がいたくらいでした。

岩瀬 氏
その日本の勢いに陰りが見えてきたのが90年代ですが、バブル崩壊とインターネットの爆発が続きますね。
神沼 氏
1980年代の日本には、確かに勢いがありました。そこで米国が日本の勢いをそぐ戦いを仕掛けた。それが、1985年のいわゆる「プラザ合意」から始まったと言われています。国際的にみた日本の停滞が始まったのはその時期からで、自ら足を引っ張ったような事態が1990年代後半の消費税導入と言われています。しかしながら、平成の30年間は、日本が凋落したというより他の国が延びたというべきではないでしょうか。 とくに飛躍したのがシンガポールや中国ですが、その底には1994年に開放されたインターネットへの対応があります。私は、WHOのコンサルタントの資格で1992年にシンガポールに一週間滞在して化学物質の管理に関係した役所を訪問したことがありますが、ショックを受けました。シンガポールは、2000年を目標に、電子政府構築を標榜していました。それと、これも同じころマレーシアでのWHOの会議で、中国、香港、カナダ、フィジーなど違う国からの出席者が、皆中国人であることにも、衝撃を受けました。その後、自分たちの研究所やCBI学会にインターネットとWWWの環境を導入した経験から、すごい時代になったと、可能性と同時に警鐘を鳴らすための本を緊急に書きました(神沼二真、第三の開国 インターネットの衝撃、紀伊国屋書店、1994年)。残念ながらこの本には期待ほどの反響がなかったです。インターネットの大波に日本は緊急に対処しなければならない、という意図が「第三の開国」という主題でボケってしまったからではないかと考えています。めざすべきは、開国ではなく改国でした。その後、ネットの大波を掴まえた国や企業が大きく成長したわけです。そういう意味では、90年代が大きな転換期で、そのキーワードあるいは時代精神は、やはり(開放された)インターネットへの対応だったのではないでしょうか。

データサイエンスの理解

岩瀬 氏
データサイエンスと言っても幅が広い言葉で、一般にはなかなか理解されないような気がします。その原因は、どの部分のデータをどんな応用に適用するのかが明確に語られていないからではないかと思います。このあたり、一般に解りやすく解説はできるものなのでしょうか。
神沼 氏
あまり一般論ができない領域なのですが、私が多少とも関わってきた自然科学、健康医療、薬づくり、環境科学などに関わる研究開発とサービスに関わる領域では、わかりやすい枠組みが考えられます。例えば、医学診療を例にすれば、医師は、常に意思決定を繰り返しています。その基礎になる知識、情報、資料は多様ですが、言葉(記述、自然言語)、波形、画像(写真)、動作の観察などになります。 現在、それらの多くはディジタル形式で扱えるようになってきました。もちろん十分ではないのですが、一応、言語、波形、動画を含む図や画像が基本になっています。これはデータの形式による分類ですが、もうひとつは、分野に依存した知識に関連したデータの分類です。分子スペクトル、分子の相互作用に関わる構造データは化学者、ゲノム配列は遺伝学者や生物学者の世界、皮膚の悪性腫瘍の画像は病理医の知識に関係しています。タンパク質を巨大な分子とみるのは化学者、遺伝子を塩基配列(記号、Code)とみるのは生物学者や情報学の立場です。 また認知的(Cognitive)な目的による分類もあり、演繹(推論)、帰納、発想(思いつき)、目標達成のための計画技法などです。例えば私が仕事として最初(1966年頃)に取り組んだデータの判別(分類)技法は、今でいうSVM(Support Vector Machine)ですが、その解法は二次計画技法(Quadratic Programming)に関係しています。ただし、それが使われるのは、パターン分類や帰納的推論(推測あるいは推察)においてです。つまり、認知的な計算(AI)の技法も、複雑な入れ子構造になっているのです。 私の分類は、体験的なもので、他の方の話を知りませんが、人工知能ブームの現在、こうしたデータサイエンスに関わる技法の分類を、一般論としてやさしく解説してもらう必要があるように思われますが、正直難題でしょうね。
図1 計算機を基盤とした思考の技法。データから知識を生成する科学的な研究(D2Kサイエンス)における思考は、 普遍的な理論や技法と、分野に依存した個別的な知識や理論と技法との組み合わせに依存している。データは、既存 のデータベースの検索や実験室における計測や調査、医療サービスの(診療)記録から生成される。計算機には発想 ができないが、データの視覚化により、専門家の発想を助けることができる。

図1 計算機を基盤とした思考の技法。データから知識を生成する科学的な研究(D2Kサイエンス)における思考は、 普遍的な理論や技法と、分野に依存した個別的な知識や理論と技法との組み合わせに依存している。データは、既存 のデータベースの検索や実験室における計測や調査、医療サービスの(診療)記録から生成される。計算機には発想 ができないが、データの視覚化により、専門家の発想を助けることができる。

岩瀬 氏
AIという言葉が独り歩きしているような気がするのですが、いかがなものでしょうか。また人材教育により、大きく将来の社会に関連し影響を与える課題だと思いますが、その辺りはどうお考えになりますか。
神沼 氏
AIだけでなく、そもそも情報学(Informatics)についても物理学のような学問としての体系がなく、このことが教育や人材育成にも関係しているように思われます。異色の物理学者であるファイマン(R. Feynman)が、「計算」をテーマにした講義をした内容が本になっています6)。これは量子計算機につながる興味深い本ですが、その中で「プログラムミングなどの計算技法は科学ではなくアート(Art)だ」、というようなことを言っています。 米国ではComputer Scienceという学科または学部があり、そこで博士号(Ph.D.)の学位が授与されます。今は事情が違うかもしれませんが、日本の場合、優れたプログラムをつくっただけでは、博士号をとり難かったように思われます。それがこの分野の日本の人材不足に関係しているのかもしれません。

医薬、健康科学の発展とゲノム解読の進歩

岩瀬 氏
病気と健康の間にはグレイゾーンがあり、この幅が狭くなるのか、または医科学の進歩に応じて、健康維持科学のほうが一気に進展してしまうのか、その領域にどのようにIT技術が関与して、どんな未来に進むのか誰しもが関心あると思うのですが、先生はどう考えていらっしゃいますか。
神沼 氏
「健康」、「病気」という概念は、科学的ではなく便宜的な概念だと思います。バイオが一世を風靡した1980年代、在米の日本人研究者として著名だったシティ・オブ・ホープの大野乾博士は、ヒトが改変してもよい遺伝子の話をしています。大野博士の提言は、その後ゲノム編集技術の進歩で現実的な課題になってきました。製薬会社は「病気をつくる」と言われています。病気(の概念)をつくれば、それに対処する新薬の概念をつくれるからです7)。データから言えば、バイオマーカーの探索になるのでしょうか。医師には個別の指標がわかりやすいのですが、実際には複合的な指標が必要になることもあると思います。 私は、ヘルスメトリックス(Health-metrics)を提唱していますが、予兆での介入が一番効果的と、ロードマップとして提唱したのは、米国NIHの前所長ゼルハフニ(E.Zerhouni)です。私は3次予防での介入が効果的だと考えておりますが、米国では次世代ヘルスケアにおける生活様式の工夫による健康状態の維持の重要性が指摘されています8)。問題は、老化が治療すべき病気かということでしょうか。最近では、AIを使って健康寿命を計ろうなどいう研究も出てきています9)
岩瀬 氏
2001年のヒトゲノム解析終了宣言から19年経過して、膨大な遺伝子データが世の中には存在しますが、その応用が的確に創薬研究に生かされているとお考えですか。
神沼 氏
私の見解が正しいかどうかわかりませんが、「あれだけ騒がれたヒトゲノム解読宣言が成功裡に完了して10年にもなるというのに、医学や医薬品開発にどれだけの寄与しているのか?」という議論がちょうど10年ほど前に盛んになったようです。 ヒトゲノム解読計画国際チームを米国NIHにおいて先導したコリンズ(F. Collins)は、2011年NIHの長官に就任すると、厳しい予算事情にもかかわらずNCATS(National Center for Accelerating Translational Research)をNIHの傘下に設立して、彼の部下であったオースチン(C. Austin)を責任者に任命しました。NCATSは、ビッグファーマ企業との共同プロジェクトを推進するだけでなく、“ビッグデータから知識へ”を意味するBD2K(Big Data to Knowledge)事業を推進しました。さらにAIやデータサイエンスなど、NIHにおけるディジタル化推進の責任者(P. E. Bourne)のポストを設けました。さらにプレシジョンメディシン(Precision Medicine)を提唱し、最初の目標はがん(Precision Oncology)、次の標的は、PGx(Pharmacogenomics)を基盤とした適薬(適切な薬の使い方の普及)だと、述べています10)。そこには、ゲノム解読計画を推進したリーダーとしての約束を果たそうとする意気込みのようなものが感じられます。遺伝子データから画期的な新薬までというのは、実はまだ始まったばかりで、時間が掛かるでしょうが、進歩は着実だと思います。

バイオ医薬開発と戦略的なデータサイエンス

岩瀬 氏
医薬業界の中で、バイオ医薬の占める割合が今後の未来に向けて発展し増大するのは確実だと思います。バイオバンク活用も各国で進化していると聞きますが、データサイエンスがバイオ創薬にはどう貢献されてゆくのでしょうか、またどこが難しい起点になるのでしょうか。
神沼 氏
詳細は解りませんが、CAR-T療法11)
成功の報道などを読むと希望があると思います。ただ、日本はひどく遅れているような印象を受けています。日本(人)には、優れた免疫学研究の伝統があるようですが、薬づくりにつなげるところが問題なのではないでしょうか。 これも極めて個人的な印象ですが、1970年代から計算機応用の立場から(B型肝炎や補体のような)免疫学に多少とも付き合った経験では、免疫学は(工学的な)システム論では、とても扱い難いという印象をもっています。それは対象が、つまり細胞や分子(補体)が、どんどんその実態を変化させてしまうからです。この問題は、再生医療にも関係していると思います。つまり「細胞の運命と制御」の問題で、計算機を活用するには、一工夫いるのではないか、という印象をもっています。しかし、それだけに、情報計算技法の視点からも挑戦する甲斐がある魅力的な領域だと思います。ただし、そこに挑戦するためには、生物医学の専門家と情報計算技法を専門に学んだ若手世代とのチームが必要と考えています。そのようなチームの例としては、ネットだけの情報ですが、たとえば欧州(独仏)が立ち上げたLifeTime Initiativeがあります12)。 いずれにせよ、がんも免疫学も、また研究も臨床も加速度的に進歩しているようですが、それらのデータを十分咀嚼できる体制がつくられていないように思われます。がんとか、自己免疫疾患とか、目標を絞って臨床データを揃えるところから取り組む必要があるのではないでしょうか。

戦略性のある公的資金の投入

岩瀬 氏
国内では疾患ベースのバイオバンクとコホート研究におけるサンプル収集など、各セクターで統一された計画が無いように思いますが、どうすれば世界に追いつくとお考えですか。
神沼 氏
日本では、研究開発計画の戦略性が脆弱なものが多く、漫画的でわかりやすいものが優先されてきているように思われます。ある時期から科学研究費申請の書類に「ポンチ絵」をつけることが求められるようになったようです。例えばロボット研究でも、「人間の感じがする」ことを評価するようです。これを私は、「鉄腕アトム症候群」と呼んでいます。 AIでは、むしろ原発の廃炉化や「オレオレ詐欺」の防止、認知症の理解と対策など、社会的に重要な問題解決のシステムをつくる予算を増やすべきだと思います。ついでに言わしていただければ、核被爆の後遺症としてのがんの治療薬開発を国が支援すべきです。イノベーションは、それをめざすことからではなく、解決しなければならない課題に取り組むことから生まれてくるのだと思います。
バイオバンクやコホート研究に直接関係することですが、この「創薬のひろば」の第10号ではベースライン研究がとりあげられています。今、必要なのは、病気の状態に対する正常な状態の数値的な把握ではないでしょうか。また実際の診療記録、いわゆる実世界データ(Real World Data, RWD)から、特定の疾患に関する知識を生成できるような診療記録管理技法とデータベースの重要性をもっと認識すべきではないでしょうか。例えば米国のFlatiron社が大手製薬企業によって巨額の資金で買収をされて話題になりました。同社の診療(支援)データの記録技法が評価されたのだと思います。つまりそれを解析すれば、がん診療に関する有用な知見が得られると期待されたからでしょう。関節リウマチなどの自己免疫性疾患に関する診療記録法とデータベース構築についても同じようなことが言えるように思われます。「発見的なデータベース」というわけです。バイオバンクも同様ではないでしょうか。こうしたシステムを日本で開発するのはとても難しいと思いますが、それがなぜなのかを分析してみると、新しい挑戦課題が見えてくるでしょう。
岩瀬 氏
日本の健康保険制度は海外に比べると、かなり特異性があるように思うのですが、その良い面を生かして国内創薬の発展に寄与できないものか、最近考えるようになりましたが、いかがでしょうか。
神沼 氏
よい着想ですね。日本の保険制度は、性善説に立っていますね。1994年ごろのインターネットも性善説に立った有志に支えられていました。今や、それらは破綻してきたようです。だから新しいモデルを探さねばならないと思います。 我田引水のようですが、私たちが立ち上げたNPO法人であるサイバー絆研究所(ICA)は、この2つの変化に対処する仕組みづくりをめざしています。具体的には、「参加型ヘルスケア」の普及です。簡単に言えば患者や生活者が、既存のサービスを賢く利用することと、医師の処方箋などを必要としない運動、食事、睡眠、生活の近傍環境への適切な対処など、いわゆる生活様式(ライフスタイル)の工夫によって、自分たちの健康や疾患に対処しようとういう試みです。我が国では、「患者は寄らしむべし」という気風が今も強く残っています。そうした医師のPaternalism(父親的温情主義)の弊害は、他の先進国でも指摘されています。しかし米国や欧州では、患者の視点を重視する、あるいは患者中心Patient Centricの重要性が指摘されるようになってきています。 日本でも武田薬品が、「患者第一Patient Firstの対応」を表明するようになってきていますが、これに対して私たちは、「生活者や患者が積極的に自らの健康の維持や疾病の対策に関わるべき」という旗を立てています。いわゆる生活習慣病がその典型ですが、生活者や患者の行動変容を確実にする対処法の実践が肝心だと考えております。

データサイエンス専門家育成の難しさ

岩瀬 氏
データサイエンスの活用はバイオ関連のみならず低分子化合物にも充分活用されていくと思います。情報学の視点からの成功事例はありますか。
神沼 氏
私は、1980年頃に現在のCBI学会を立ち上げ2010年まで、その運営に関わっていましたが、この活動が創薬分野でどのくらい成果を挙げたかはよく解りません。当時の製薬企業は非常に閉鎖的でした。しかしながら、最近そのひとつの成功例が、大鵬製薬でロンサールの開発に関わったグループから詳しく報告されています13)。特定の薬の開発ではなく、それらがさまざまな局面で必要になる必須の道具であるということが認識されるようになっています。
岩瀬 氏
それでは最後になりますが、データサイエンティストの人材育成につき、今後の日本では、どうすべきか先生のご意見をお聞かせいただけますでしょうか。
図2 学問領域の関係図。人工知能は思考過程を計算(Algorithm,アルゴリズム)に対応させる研究である。その基礎になるのは様々な学問領域に共通する数学あるいは計算の技法である。図中の理論や計算技法には共通の概念がある。こうした関係を見れば、パターン認識、人工知能、機械学習、さらにD2Kサイエンスなどは、既存の数学、自然科学、(計算機のハードウェアを含む)機械技術や工学とも深く関係しているが、それらとは独立の学問領域に発展すると思われる。

図2 学問領域の関係図。人工知能は思考過程を計算(Algorithm,アルゴリズム)に対応させる研究である。その基礎になるのは様々な学問領域に共通する数学あるいは計算の技法である。図中の理論や計算技法には共通の概念がある。こうした関係を見れば、パターン認識、人工知能、機械学習、さらにD2Kサイエンスなどは、既存の数学、自然科学、(計算機のハードウェアを含む)機械技術や工学とも深く関係しているが、それらとは独立の学問領域に発展すると思われる。

神沼 氏
ICT活用のための人材育成は、とても難しいと感じております。根本的な問題は、専門性に関する無理解です。つまり情報学自体が体系化されておらず、人間の思考や認知機能を支援あるいは代替する技法が、他の自然科学や工学、医学などと、どう関係しているかを見渡せる俯瞰図がありません。現在のデータサイエンスやAIは、未来に向けて数学、自然科学や工学とは独立した「計量的な思考学」と呼ぶべき学問領域に発展していくと予想しております。そこには、ヘルスケア(健康医療サービス)への応用も含まれますし、薬づくりも含まれます。 人工知能や機械学習を含めて、情報学あるいは情報計算技法が理解され難く、それゆえ体系的に学習したり、教えたりすることができ難いもうひとつの根本的な問題は、この分野の技術的な進歩が激しく、浸透している領域が急速に広くかつ深くなってきていることです。また、この技術の習得が、生理的にも若い世代に有利で、年寄りに厳しくなってきていることです。つまり、あたかも体操や水泳選手のように、若いある時期での取り組みが圧倒的に有利ですから、後からくる世代が圧倒的に不利です。したがってある程度の年月が必要となる他の領域へのデータサイエンスの活用では、技術の開発者と活用者の間の年齢的な差が広がってきます。 そうなると若い世代の職能や職種や昇進をどう調和させるかが問題になります。彼らの仕事の評価は、これまでの科学や工学などの研究者の評価にあいません。なぜなら成果の発表のための学会や論文投稿のための専門誌、さらに仕事を評価してもらえる研究者のコミュニティの形成が間に合わないからです。データサイエンティストたちは「お礼は言われるが、報酬や地位での評価はされない」という状態におかれていることが珍しくないよう思われます。さらに民間企業の場合は、大手と(段階的な)下請けというような構造があり、実際に仕事をしてきた情報系の専門家の評価や待遇は、ひどく悪いものであったように思われます。 この問題は、ウエットな実験の職人的な技能者への待遇の問題と似ているようですが、違ったところがあります。情報計算技法の場合、直接人間の思考作業(推論や意思決定など)に関係しています。仕事や研究そのもののデザインに関わる「創造的な破壊」を思いつく可能性もあります。もちろん、これまでのウエットの専門家が、情報計算技法に守備範囲を拡張することはできても、この分野の進歩は猛烈ですから、双方の分野を一人でカバーし続けてはいけないでしょう。 またICT全体の進歩の激しさを考えると、情報計算技法からのアプローチを考える専門家は、そのことに専心できる環境が必要だと思います。また専門家に育つには時間が掛かります。また、若手は育てるというより、実際の問題を明示し、その解決に取り組むことで育っていく、という環境をつくるのが理想ではないかと思います。 さらに、ヘルスケアにおいて我が国でとくに欠けているのは、戦略性とLogisticsの思想です。戦略性の視点から言えば、NIHがヘルスケアのディジタル化への対処として、「NIHはデータサイエンスを基盤にした事業体に変身する」という旗を掲げました14)。そこでは「絶えざる知識の生成と活用」が目標になっています。つまりデータサイエンスの目標は、知識の生成と不可分に結びついています。その知識はこれまでは紙媒体に記録されていました。米国には国立医学図書館(National Library of Medicine, NLM)があります。実は、1980年代のその所長に任命されたリンドバーグ(Donald Lindberg)は、医師であり、医学への人工知能の研究者(理解者)でした15)。NLMは、ゲノム医療の時代の基盤機関のひとつになっています。我が国には、そのような基盤機関がありません。もうひとつ、AI技法の活用には、専門用語集が必要です。日本には、ヘルスケアに関わる自然言語の研究者が少ないと聞いています。使用人口の少ない日本語の問題もあります。 このように見てくると、我が国におけるデータサイエンスの普及には、支援基盤の充実がどうしても必要です。人材の育成もそのような視点に立つことが求められます。 また、薬づくりを考えると、NCATSが提案しているように、製薬会社における仕事の仕組み、とくにパイプラインを再構築し、その各要素をデータサイエンスの視点から見直してみることが必要だと考えています16)
岩瀬 氏
我が国にはいろいろな特殊事情があり、さらにバイオサイエンス、ヘルスケアという領域の複雑性の中でデータサイエンスとその人材育成を考える上では、大変複雑なハードルを越えなければならないという事情が良く解りました。私は分析機器とバイオサイエンス支援市場に身を置いてきましたが、日本のバイオインフォマティシャンやIT技術者は、個々の領域には専門性がありますが、今後はやはり市場の変革性や広範囲にわたるコンテンツを眺められる教育が必要とされるのでしょうね。我が国の根本的な教育制度にまで言及する必要があるのかもしれません。社会がITにより急速な変革期を迎えているとはいえ、やはりアーカイブにより過去の道のりを知る事が、全体を俯瞰して先を観る上では重要だと思います。 貴重なご意見を頂戴して本日はありがとうございました。

参考文献

  1. Satoshi Watanabe, Knowing & Guessing, John Wiley & Sons, 1969(村上洋一郎、丹治信春訳『知識と推測 : 科学的認識論』全4巻 東京図書 1975年);渡辺慧、認識とパタン、岩波新書、1978。
  2. 神沼二真、医療革新とコンピュータ、岩波新書、1985.
  3. 神沼二真、倉科周介訳、診療コンピュータシステム(E. H. Shortliffe, Computer-Based Medical Consultations: MYCIN, Elsevier, 1976) 文光堂、1981.
  4. AMIA : American Medical Informatics Association
  5. C. A Kulikowski, E. H Shortliffe et al. AMIA Board white paper: definition of biomedical informatics and specification of core competencies for graduate education in the discipline, J Am Med Inform Assoc (2012). doi:10.1136/amiajnl-2012-001053
  6. R. Feynman, Feynman Lectures on Computer, Addison-Wesley, 1996.
  7. 神沼 二眞 訳/多田 幸雄、堀内 正 監修、「薬づくりの真実~臨床から投資まで」(増刷版、日経 BP社、2014年):原著、Bartfai T and Lees GV (2006) Drug Discovery: from Bedside to Wall Street. Elsevier/Academic Press: Amsterdam。
  8. 臼井珠美、米国医療の状況、医学教育へのLifestyle Intervention教育導入、バイオフィードバック研究, 45, 1: 19-23, 2018。
  9. A. Zhavoronkov and P. Mamoshina, Deep Aging Clocks: The Emergence of AI-Based Biomarkers of Aging and Longevity, Trends in Pharmacological Sciences, 40(8): 546-549, 2019。
  10. F. S. Collins and H. Varmus, A New Initiative on Precision Medicine, The New England Journal of Medicine, 372(9): 793-795, 2015。
  11. CAR-T療法:患者自身の免疫に関わるT細胞を取り出し、それを改変して本人に戻す治療法。
  12. 欧州のLifeTimeプロジェクト(https://lifetime-fetflagship.eu/)。
  13. 多田幸雄、ロンサール開発物語、CBI学会誌、7:13-39, 2019。
  14. NIH STRATEGIC PLAN FOR DATA SCIENCE (https://datascience.nih.gov/sites/default/files/NIH_Strategic_Plan_for_Data_Science_Final_508.pdf); C. Mura, E. J. Draizen, and P. E. Bourne, Structural biology meets data science: Does anything change? Current Opinion in Structural Biology, October 2018。
  15. D. A. B. Lindberg, MD, the National Library of Medicine、198416) NCATSのDrug Discovery, Development and Deployment Mapsは、次のサイトにある:(https://ncats.nih.gov/translation/maps)。

神沼二眞

神沼 二眞 氏

1940年神奈川県に生まれる。国際基督教大学、イェール大学、ハワイ大学に学ぶ。物理学でPh.D.(博士号)。1971年から、日立情報システム研、東京都臨床研、国立医薬品食品衛生研究所に勤務。パターン認識、医学人工知能、医療情報システム、生命情報工学、化学物質の安全性などの研究に従事。1981年には理論的な薬のデザインなどをめざす産官学の研究交流組織(現在のCBI学会)を設立。その後、広島大学および東京医科歯科大学で学際領域の人材養成に当たる。2011年にNPO法人サイバー絆研究所を設立。

岩瀬 壽

岩瀬 壽 氏

一般社団法人日本分析機器工業会(JAIMA)ライフサイエンスイノベーション担当アドバイザー、
バイオディスカバリー株式会社 代表取締役社長&CEO。
1951年東京都生まれ。日本大学理工学部工業化学科卒。メルクジャパン、日本ウォータズ、日本ミリポア、日本パーセプティブ、アプライドバイオシステムズ、バリアンテクノロジーズ、アジレントテクノロジーなどで分析機器・バイオサイエンス機器の経営・マーケティングを経験。2001年バイオディスカバリー(株)設立。2013年より日本分析機器工業会(JAIMA)ライフサイエンスイノベーション担当アドバイザー兼任。