2回目の米国出張は出足のフライトから最悪だった。ロスで3時間到着が遅れ、連鎖的に乗り継ぎが間に合わず、結局アトランタ・ミネアポリス・ボストンと深夜の夜行便を使われて、結局22時間かけて夜明けにボストンのローガン空港に到着。空港から1時間ほどでレキシントンのホテルに到着した時は夜がすっかり開けていた。
レキシントンの街は南北戦争発生の地であり、こじんまりした小さな田舎町の雰囲気が漂っていた。宿泊したのはホテルというよりも小さなペンションの様な佇まいで、ウッディーな匂いがすべてに溢れていた。まさにアーリーアメリカンである。ロビーは大きな住宅の玄関くらいの大きさで、待たされてソファーに座っていると、外から大きな体の男が入ってきて備え付けのコーヒーメーカーから自分のマグカップにかってにコーヒーを入れて出てゆく。ウッディーな壁には古いアメリカの絵やモノクロの写真が飾ってある。ひとりでニヤニヤしてしまう自分に気が付く。
私は終戦から6年目の1951年東京生まれ、幼少の頃の記憶では山手線の渋谷と原宿駅間で、車窓から「ワシントンハイツ」と呼ばれる米軍将校住宅地が見渡せた。昔代々木公園であったその場所は、現在のオリンピック競技場ができるまでは、全面芝生で白い米軍将校専用住宅がポツポツと建っており、まるでビバリーヒルズのような光景が見渡せた。表参道はジャリ道で、そこに将校家族用のデパートがあった。現在のキディーランドである。初めて食べたホットドックは表参道に建設されたコープオリンピア1階のスーパーマーケットの片隅にあるアメリカンなバーだった。そして学生時代のバイブルは、「Made in USA」という読売新聞社が発行した特集号だった。
そんな幼少期を経て青春時代に憧れた本物のアメリカが、その小さなホテルのロビーの匂いだった。

岩瀬 壽 氏
一般社団法人日本分析機器工業会(JAIMA)ライフサイエンスイノベーション担当アドバイザー、
バイオディスカバリー株式会社 代表取締役社長&CEO。
1951年東京都生まれ。日本大学理工学部工業化学科卒。メルクジャパン、日本ウォータズ、日本ミリポア、日本パーセプティブ、アプライドバイオシステムズ、バリアンテクノロジーズ、アジレントテクノロジーなどで分析機器・バイオサイエンス機器の経営・マーケティングを経験。2001年バイオディスカバリー(株)設立。2013年より日本分析機器工業会(JAIMA)ライフサイエンスイノベーション担当アドバイザー兼任。
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