第2回 PCRの出現

青色の細胞が多数浮遊している様子を表した3Dイメージ画像。顕微鏡観察をモデル化した細胞構造のレンダリング
             

生命を解き明かす分析機器のアーカイブ

第2回
PCRの出現

筆者が最初に「PCR」という言葉を聞いたのは,1980年代初旬に,当時ボストン郊外でDNA合成機のトレーニングを受けている頃でした。米国西海岸のシータス社というベンチャー企業に勤務していたキャリー・マリス博士は,奇想天外なサイエンティストでありながら,サーファー,無類の遊び人でもあったので,会社内では変人扱いだったそうです。

1983年にDNAポリメラーゼを応用して何とかDNA増幅ができないかを頭に描いていた彼は,週末に彼女を連れて山小屋に向かって蛇行した山道をドライブしていました。ハンドルを何度も切り返しているうちに,温度上下を繰り返すサーマルサイクラーを思いつき,山小屋には向かわず,そのまま研究室へ引き返して,PCRの開発研究に没頭したそうです。

その後,1985年にDNA増幅に成功したマリス博士は,社内でアピールを繰り返しましたが,誰も耳を貸さず,友人のロン・クック氏に相談しました。ロン氏は当時バイオサーチ社というベンチャー企業を設立したばかりで,DNA合成機器とペプチド合成機器の開発に夢中でしたが(図1),PCRの未来に向けた可能性をシータス社に解説し将来性を説得したそうです。

バイオサーチ社は,同じ西海岸の競合アプライドバイオシステムズ社(ABI社/現サーモフィッシャーサイエンティフィック社の事業部)の技術に並ぶ優秀な装置を開発していましたが,ミリポア社(現メルク社)に買収され,研究開発部門を東海岸に移されてから開発陣が辞めてしまい,これらの技術も装置開発計画もいつの間にか消えてしまったのでした。

ロン氏が当時,サーマルサイクラーの開発に計画を切り替えていたら,市場へのサプライヤーの流れも変わっていたかもしれません。マリス博士は2019年8月に他界されましたが,その数か月後に新型コロナウイルスが世界で猛威を振るい,世界中の人々がPCRという3文字を知る事になるとは,なんとも奇妙で皮肉な出来事ではないでしょうか。

ロン・クック氏が開発したバイオサーチ社サイクロンDNAシンセサイザー
図1.ロン・クック氏が開発したバイオサーチ社サイクロンDNAシンセサイザー

PROFILE
岩瀬 壽

岩瀬 壽 氏

一般社団法人日本分析機器工業会(JAIMA)ライフサイエンスイノベーション担当アドバイザー、
バイオディスカバリー株式会社 代表取締役社長&CEO。
1951年東京都生まれ。日本大学理工学部工業化学科卒。
メルクジャパン、日本ウォータズ、日本ミリポア、日本パーセプティブ、アプライドバイオシステムズ、
バリアンテクノロジーズ、アジレントテクノロジーなどで分析機器・バイオサイエンス機器の
経営・マーケティングを経験。
2001年バイオディスカバリー株式会社設立。
2013年より日本分析機器工業会(JAIMA)ライフサイエンスイノベーション担当アドバイザーを兼任。

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