研究とは何か ― がん研究に向き合う臨床医のまなざし(第1回)
新年度に考える「研究とは何か」
4月になり、新年度になりました。大学の研究室には、新しい学生が所属するようになります。私たちの研究室は、医学部の中でも「基礎系」の講座ではありますが、「臨床系」の医師免許を持った大学院生が多く所属しています。各臨床科での専門研修を経て、医学博士を取得するために、研究に初めて携わることになる、医師たち。彼らを指導するのが、私の主な仕事の一つです。
いつもこの時期に考えさせられるのは、「研究とは何か」という根本的な問いです。新人の研究テーマを考えなくてはならないですからね。
研究はアイディア勝負だけではない
「研究はアイディア勝負だ」と言う人は少なくありません。確かに、突飛な仮説や大胆な着想がブレイクスルーを生む場面はあります。ただ、そうした“天才的な想像力”を自分が持っていると胸を張って言える人は、実際にはごく少数だとも思います。
私自身、若い頃に先輩から
「君は僕みたいな発想力はないから、研究計画のハブになってネゴシエーターをやるといい」
と言われた記憶があります。今思えば、助言半分、厳しさ半分だったのかもしれません。少なくとも当時の私は、その言葉を素直に受け取れませんでした。
仮説を検証可能な形にするということ
でも、その出来事は、私にとって研究者であることの定義を作り直すきっかけになりました。私が考える研究者とは、派手なアイディアを一発で当てる人だけではありません。小さくても仮説を立て、方法を考えて検証し、結果に応じて仮説を更新する——このステップを地道に続けられる人です。
仮説は壮大である必要はなく、むしろ「今のデータと制約の中で確かめられる問い」に落とし込めることが強みになります。言い換えれば、研究は発想力だけの勝負ではなく、検証可能性へ翻訳する技術の勝負でもあります。もちろん、検証方法そのものを開発する人も、概念そのものを覆す人も、素晴らしい研究者です。でも私はやはり、ハブとしてそんな人たちと一緒に、自分たちが立てた仮説をあらゆる方向から確かめていく研究者なのだと自認しています。
臨床の現場から、がん研究へ
そもそも私は、医学生の頃から「がんの研究がしたい」と考えていました。そこで、がん患者さんを多く診る臨床の現場に身を置くことが、研究の出発点として重要だと思い、消化器内科を選択しました。臨床で症例を重ねるほど、同じ診断名や同じ治療選択でも、反応性や経過が大きく異なることを実感します。その“違い”を経験や印象で語るのではなく、検証可能な形で説明すべき——やはりそう考えるようになり、次第に研究医としての比重を大きくしてきました。
また、さらに遡ってみると、私の父は理系(放射性同位体を専門とする)の研究者であり、「研究は必ずしも経済的な見返りが大きいものではないけれど、知的にとても楽しいものだ」というスタンスで大学の研究室に勤めていました。その影響もあって、今の私は、“医学研究”という社会的・実用的な出口を求められる研究に、“知的好奇心”というかなり素朴なモチベーションで取り組んでいるのだと思います。
複雑ながん研究に必要な「再現性」
さて、多様なバックグラウンドを持つ学生たちを相手に、「私自身と全く同じ姿勢で研究に取り組め」とは言えません。それでも、彼らの研究を形にするために、ハブとして心がけていることは、「再現性を重視すること」です。“現実”には、多くのノイズが含まれているので、その中で見つけた新たな事象や関係性を、できるだけ他者が追試・検証可能な形で提示すること、それが研究活動であると教えています。
特に私たちが研究対象とする“がん”は、非常に複雑で、個人差も、個人内の不均一性も、非常に大きいものです。木を見て森を見ず、という諺がありますが、木だけでなく森を見て、さらにその森が置かれた地形まで考えなければ、疾患の全体像には近づけないのだと思います。
そんな複雑なシステムである“がん”の研究で、いかに「再現性」を担保するか。次回には、私自身が具体的には何を解き明かしたいのか、これまでのがん研究の「再現性」へのチャレンジとともに述べてみたいと思っています。


