ライフサイエンス分野のやさしい知財入門
これまで、医薬品を守る特許や特許期間延長制度、そして先発医薬品と後発医薬品の特許をめぐる攻防についてお話ししてきました。前回は、その攻防を「戦国時代」にたとえてご紹介しました。
正面から特許の有効性を争うこともあれば、相手の特許をうまくかわして市場に参入することもあります。今回は、まるで忍者のように先発品の特許をすり抜ける、後発品の「虫食い申請」についてお話しします。
まるで忍者!?
~先発特許をすり抜ける後発の『虫食い申請』~
特許のある効能だけを外す「虫食い申請」
後発品の効能・効果、用法・用量は、原則として先発品と同一でなければなりません。しかし、先発品の一部の効能・効果等に特許が残っていても、それ以外の効能・効果について後発品を製造できる場合には、特許のない部分だけで後発品の承認を取得することができます。日本では2009年から認められており、通称「虫食い申請」(基本効能申請)と呼ばれています。
例えば、先発品にAとBという二つの効能・効果があるとします。Aの特許はすでに切れているものの、Bについてはまだ用途特許が存続しています。この場合、後発企業はBを効能・効果から外し、Aだけで後発品を申請することができます。そしてBの特許が切れた後に、一部変更承認申請を行ってBを追加します。
特許のあるところだけをきれいに避けて市場に参入する。まさに忍者の「すり抜けの術」です。
オフラベルユース(適応外使用)
これで特許的に問題なし!――と思いきや、話はそう簡単ではありません。
虫食い申請で市場参入した後、問題になるのが「オフラベルユース(適応外使用)」です。オフラベルユースとは、承認された効能・効果や用法・用量とは異なる使い方をすることです。
先ほどの例だと、医療現場には、AとBの両方について承認されている先発品と、Aについてしか承認されていない後発品が存在することになります。しかし、有効成分はどちらも同じです。そこで医師が、Bの患者にも後発品を処方することがあり得ます[注1]。
リネゾリド事件
実際に、この問題が日本で特許権侵害訴訟にまで発展した例があります。
ファイザーの先発品「ザイボックス®(有効成分:リネゾリド)」は、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)感染症とバンコマイシン耐性腸球菌(VRE)感染症という二つの効能・効果を有していました。このうちMRSA感染症については用途特許が存続していたため、後発企業はMRSA感染症を効能・効果から外し、VRE感染症のみで承認を取得して市場に参入しました。
ところが、VRE感染症は年間の推定患者数が数十人程度とされていたにもかかわらず、後発品参入後の1年間に、少なくとも319人分に相当する数量の後発品が販売されていることが判明したのです。
「あれ?VREの患者さんだけに使われているのなら、この販売量は多すぎるのでは?」
そう考えたファイザーは、後発品がMRSA感染症にも使用され、自社が専用実施権を有する用途特許を侵害しているとして、2017年11月、後発のMeiji Seika ファルマを東京地方裁判所に提訴しました。MRSA感染症を効能・効果として標榜していない後発品に対して、MRSA感染症の用途特許をどこまで行使できるのか。非常に興味深い問題でしたが、この事件はその後和解したとみられ、裁判所の判断は示されませんでした。
海外では「Skinny Labeling(スキニーラベル)」
虫食い申請は日本だけの制度ではありません。米国や欧州、韓国などにも同様の仕組みがあり、一般に「carve-out」や「skinny labeling」などと呼ばれています。しかし国により特許制度が異なるため、日本の忍者が忍び込めない場合もあるようです。
特に米国では、日本にはない「induced infringement(誘引侵害)」という考え方があり、スキニーラベルであっても特許訴訟に発展し判決が出されます。
最近話題になった先発品VascepaをめぐるAmarin対Hikmaの事件は2026年6月に最高裁判決が出されたところです。
Amarin対Hikma事件
Vascepaには、重度の高トリグリセリド血症(SH)と心血管リスク低減(CV)という効能がありました。後発企業Hikmaは、特許で保護されたCVをラベルから外し、SHのみで承認を取得して市場に参入しました。まさにスキニーラベルです。
先発Amarinが、後発Hikmaによる販売や情報提供などが、医師によるCV用途での使用を促すものだとして特許侵害訴訟を提起しました。第一審(連邦地方裁判所)はAmarinの請求を退けましたが、第二審の連邦巡回控訴裁判所(CAFC)は、Amarinの主張には一定の合理性があるとして、訴訟を継続させる判断を示しました。これに対してHikmaは上告し、米国最高裁判所が審理を行うこととなりました。そして最高裁は、2026年6月4日、全員一致でCAFC判決を破棄し、誘引侵害が成立するためには特許権侵害を促進する積極的な行為が必要であるとして、本件におけるAmarinの主張を認めませんでした。
これ以外にも、GSK対Teva事件では、2017年の陪審評決で誘引侵害が認定され、2021年にCAFCがこれを維持しました。ただし、そこで用いられた「医療従事者が侵害の指示と読み得るか」という見方は、今回の最高裁判決により否定されています。
先発特許をすり抜ける後発の『虫食い申請』、いかがだったでしょうか?
日本ではまだ判決例がないので、今後リネゾリドのような事件が起きるとどうなるかわからない、というスリリングな状況です。
次回は、最近医薬品特許界隈で酷暑並みにホットな特許期間延長にかかわる話題をご紹介する予定です。お楽しみに!
注1:「承認されていない効能に使ったら保険が利かないのでは?」と思われるかもしれませんが、いわゆる「55年通知」に基づき、日本では、承認された効能・効果以外への使用であっても、医学的・薬学的に妥当と判断されれば、保険診療として認められることがあります。「55年通知」とは、厚生省保険局長通知「保険診療における医薬品の取扱いについて」(昭和55年9月3日保発第51号)のことで、保険診療における医薬品の使用について、薬理作用に基づき処方された場合には、承認された効能・効果等を機械的に適用することなく、医学的・薬学的に判断して診療報酬明細書の審査を行うことを示した通知です。
著者プロフィール
田中康子
エスキューブ株式会社代表取締役/エスキューブ国際特許事務所代表・弁理士
株式会社ストラテジックキャピタル社外取締役、東京農工大学大学院非常勤講師、知的財産権訴訟における専門委員
帝人、ファイザー、スリーエムジャパンの知的財産部にて、国内外の知財実務、知財戦略構築、契約交渉、知財教育、各種プロジェクトマネジメントを経験。2013年4月に、知財の活用による日本企業の国際競争力強化を目指して知財コンサル会社「エスキューブ株式会社」を設立、同年8月に権利化を含めたシームレスなサービスを提供すべく特許事務所を設立し現在に至る。1990年3月千葉大理学部化学科(生化学)卒。


