「アミノ酸以外の様々な修飾 -糖鎖-」(第5回)
素朴な疑問が切り拓く創薬の最前線:インフルエンザウイルスとシアル酸の攻防
前回の記事の後半では、ヒト型インフルエンザウイルスが私たちの細胞に感染する際、ウイルス表面の「ヘマグルチニン(HA)」が、気道上皮細胞表面の糖鎖末端にあるシアル酸、なかでもガラクトースにα2-6結合した構造(Siaα2-6Gal)を主に認識して結合することを紹介しました。ウイルスと私たちの細胞との間では、この糖鎖を巡る攻防が繰り広げられています。
現在広く使われているインフルエンザ治療薬の一つ、オセルタミビル(商品名タミフル)は、ウイルスの酵素「ノイラミニダーゼ」の働きを阻害します。ノイラミニダーゼは、感染細胞内で増殖した新しいウイルスが細胞表面から離れる際、シアル酸を切断する酵素です。その働きを止めることで、ウイルスの放出を抑えます。いわば「ウイルスの出口を塞ぐ」作戦です。
では、全く逆の発想で、「ウイルスの入り口をなくしてしまう」ことはできないでしょうか。感染の仕組みを知ると、ふと一つの素朴な疑問が浮かびます。
「HAがα2-6結合型のシアル酸含有糖鎖に結合して感染するのなら、その結合をピンポイントで邪魔する薬を作れば、インフルエンザの特効薬になるのではないか?」
まさに創薬の王道ともいえる発想です。しかし、HAとシアル酸の結合を直接狙う治療薬は、まだ一般的なインフルエンザ薬として実用化されていません。なぜでしょうか。そこには、タンパク質と糖鎖が織りなす物理化学的な壁と、ウイルスの巧妙な生存戦略がありました。
疑問その1:なぜウイルスの「侵入口」を塞ぐ薬がないのか?
HAとシアル酸含有糖鎖との結合は、1対1で見ると実は非常に弱いという特徴があります。これだけを聞くと、簡単に邪魔できそうに思えるかもしれません。
しかし、インフルエンザウイルスの表面には多数のHAがあり、細胞表面にも多数のシアル酸含有糖鎖が並んでいます。ウイルスは、複数のHAを使って複数の糖鎖に同時に結合し、細胞表面に強固に付着します。これは、小さなフックとループが無数に組み合わさる「面ファスナー」と同じ原理です。一つ一つの結合は弱くても、多数が同時に働けば、全体として大きな結合力が生まれます。このような多点結合による総合的な結合の強さを「アビディティ」と呼びます(図1)。
そのため、一部の結合点を小さな化合物で塞いでも、残る多数の結合が働くため、ウイルス全体の付着を十分に抑えるのは容易ではありません。さらに、HAを直接標的にする薬では、HAの変異によって効果が弱まる可能性もあります。せっかく阻害薬を作っても、ウイルスが結合部位やその周辺を変化させれば、薬の効果が低下するおそれがあるのです。
疑問その2:それなら、ヒト側の受容体に「フタ」をすればよいのでは?
ウイルスを直接狙うのが難しいなら、私たちの細胞表面にあるシアル酸含有糖鎖に先回りして結合し、ウイルスが張り付けないように「フタ」をすればよいのではないか――。このような逆転の発想も生まれます。しかし、ここにも生命の複雑な仕組みが立ちはだかります。
シアル酸は、インフルエンザウイルスに利用されるために存在しているわけではありません。糖タンパク質や糖脂質の糖鎖末端に広く存在し、細胞同士の認識や情報伝達、免疫反応の調節など、さまざまな生理機能に関わっています。例えば、免疫細胞にはシアル酸を含む糖鎖を認識する「Siglec(シグレック)」と呼ばれる受容体があり、免疫細胞の働きを調節しています。したがって、シアル酸含有糖鎖を広範囲に、あるいは長時間マスクすると、ウイルスの結合だけでなく、本来の糖鎖認識まで妨げる可能性があります。
また、シアル酸に結合する物質として、植物や細菌などに由来する「レクチン」を利用するアイデアもあります。しかし、レクチンは複数の糖鎖を同時に結合して細胞を架橋したり、細胞内のシグナルを変化させたりすることがあります。なかには細胞毒性を示すものもあり、外来タンパク質として免疫反応を引き起こす可能性もあります。このため、天然のレクチンをそのまま安全な医薬品として使うことは簡単ではありません。
気道に局所投与すれば全身への影響を小さくできる可能性はありますが、必要な糖鎖だけを、必要な場所で、必要な時間だけ安全に覆うという課題は残ります。
「マスクする」のではなく「刈り取る」という逆転の発想
こうしたジレンマに対する一つの答えが、シアル酸を「覆う」のではなく、一時的に「刈り取る」という発想です。その代表的な候補薬がDAS181(Fludase)です(1)。DAS181は、細菌由来のシアリダーゼを利用した吸入型の組換えタンパク質で、気道表面のα2,3およびα2,6結合型シアル酸を酵素的に切断し、ウイルスが利用できる足場を減らします。宿主側の足場を標的とするため、HAの変異の影響を受けにくい可能性がある点が、この戦略の特徴です。
一方、シアル酸は正常な粘膜機能や免疫調節にも関わるため、作用する範囲や持続時間、安全性を慎重に見極める必要があります。DAS181は現在も開発段階にあり、抗インフルエンザ薬として実用化されるかは未定です。それでも、「変異を繰り返すウイルスを直接追いかけるのではなく、ウイルスが利用する宿主側の足場を一時的に変える」という考え方は、これまでとは異なる抗ウイルス薬の方向性を示しています。
タンパク質に付加された糖鎖は、単なる飾りではありません。ウイルスが宿主を見分ける目印となり、感染の入り口となり、さらには新しい薬の標的にもなります。
糖鎖の構造は、遺伝暗号に直接書き込まれているわけではありません。それでも、ウイルスの感染戦略と私たちの創薬戦略の両方を大きく左右します。インフルエンザウイルスとシアル酸の攻防は、糖鎖が担う奥深い機能を教えてくれる好例といえるでしょう。
1)Triana-Baltzer GB, et al. DAS181, a sialidase fusion protein, protects human airway epithelium against influenza virus infection: an in vitro pharmacodynamic analysis. J Antimicrob Chemother. 2010;65:275-284. doi:10.1093/jac/dkp421.

ヒト型インフルエンザウイルス表面の多数のヘマグルチニン(HA)三量体は、気道上皮細胞表面の糖鎖末端にあるSiaα2-6Gal(シアル酸がガラクトースにα2-6結合した構造)を認識する。個々の結合は弱いが、複数のHAと糖鎖が同時に結合することで、ウイルス全体として強い付着力が生まれる。糖鎖は実際には糖タンパク質や糖脂質上に存在する。模式図であり、分子数、大きさ、配置、縮尺は実際とは異なる。




